Salzburg ザルツブルグ

  W.A.Mozart はザルツブルグが嫌いのはず。 彼の音楽が好きなものにとっては彼の立場に立ってしまう。 ところが世の中、ザルツブルグといえばモーツァルト、モーツァルトといえばザルツブルグとなる。ザルツブルグ音楽祭=モーツァルトとイメージしている。特に無責任(無知な?)マスコミや旅行観光業者だ。 モーツァルトがザルツブルグと決別したのは、ザルツブルグの当局者に蹴飛ばされ足蹴にされた時だ。自分が蹴飛ばされ足蹴にされたらどんなに悔しいだろうか!そんな人の気も知らないで、「モーツァルトが好きだからザルツブルグへ行く」奴の知性と教養を疑う。モーツァルトにとって思い出したくないのがザルツブルグの名だ。

 ザルツブルグの悪口を言うのも、知らないで言うのも気が引けるので、日帰りで行ってみた。 ザルツブルグ=モーツァルトとする必然性は、やはりなかった。 金を払ってエレベータに乗り評判のケーキも食べてみた。日本の基準ではありふれたケーキに過ぎない。 ガイドブックはほとんど嘘だ。 ザルツブルグの魅力は他にある。

 ザルツブルグの魅力は、ホーエンザルツブルグ城からの眺望だ。 ガイドブックがほめちぎる街の風景ではない。南西への眺望だ。 これを目当てにザルツブルグへ行って欲しい。 モーツァルト目当てはやめて欲しい!



ちょっと言い過ぎたかな?  でもこれが言いたい為わざわざSalzburgに行ったのだ。
[追記] 知らない人がいるようなので、歴史的事実を紹介する。     
1781年5月初旬: ウィーン滞在中の、ザルツブルグ領主、大司教コロレド伯が Mozart をザルツブルグへ帰そうとし喧嘩絶えず、決別が決定的となる。
     5月9日: 大司教が 「このガキ、低脳野郎!」 と Mozart を罵る。
     6月8日: 厨房長アルコ伯が Mozart を 足蹴にして屋外に追い出す。
     6月13,16,20日:父親に、「仕返しをしてやる」と繰り返し手紙を出す。
こういう出来事がある限り、Salzburg を Mozart の聖地とするには釈然としない。(大司教個人と決別したので Salzburg ではないとしても)

私は、足蹴にされた経験はない。 でも 悔しい思いはある。 Mozart を身内の如く思っていると、彼の憤りが 我が身の如く私の心を乱す。 ザルツブルグと聞いただけで不愉快になるのだ。 「Mozart は好きだが、彼の心情には感知しない」という他人の痛みを感じ得ない人がいるのは想像できる。 テレビゲーム・映画等の仮想体感が当たり前な時代、他人を苛めても・殺しても実感がないのだ。 (自己のわずかな痛みには大声で訴えるのに!) 音楽を友とするのは、己の心の痛み故だ、それが元で他を思いやる、音楽の中に己と同じ思いを見出すからこそ、永く永く付き合えるのだ。 
また、モーツアルトの音楽が、時代にこだわらない、場所にこだわらない、人格にこだわらない、状況にこだわらない超越したものだからこそ、これだけ深く人の心に入り込み、夫々の人の心の中に住み着き続けるのだと思う。 モーツアルトとウィーンを結びつける必要もない。 モーツアルトの音楽はモーツアルトの音楽だけで超越した世界をなしている故に、俗世のしがらみと関連つけるべきではない。
*** ロッシーニとペーザロとの関係とは全く別なのだ。 ペーザロでしか見れないものが多いから、ロッシーニファンはペーザロへ行くべし。***
 <自立心のない人間は、直ぐに英雄を造りたがる> <神格化し無批判に崇拝するのは、支配されやすい種類の人間> <釈迦は「偶像を拝むな!」と説いたのに、仏教といえば仏像崇拝だらけ、阿弥陀・観音・如来・・・際限なく偶像崇拝が続く> 等々、関連する教訓だ。 Mozart の音楽のみ純粋に愛すればよいのに、偶像を求める、聖地を求める、次第に原点を忘れ、ゆがめた状態を造り出す。 ザルツブルグ音楽祭にあこがれ、音楽ファンの聖地に祭りあげている。 ザルツブルグ観光局の思うツボ!
 海外のオペラハウス、音楽祭でたまたま知り合った人達が ザルツブルグ Salzburg とハシャグのに話を合わすのは疲れるのだ。 本音を話すと場が白けるのは目に見えている。 大人になって欲しい、Mozart は貴方の心の中で育んで欲しい!