WOWOWで不思議な名画を観た。
『 ショコラ 』 CHOCOLAT、監督は ラッセ・ハルソトレム のアメリカ映画である。
主演は、勿論、<ショコラ=チョコレート>である。
■ さり気ない、何もかもさり気なく、登場人物全ての演技が枠をはみ出ず、音楽も的確にしかもでしゃばらず、
しかし、実に丁寧に人間の内面を映像で表現しながら展開して行くのだ。
■ オリジナルの小説、<JOANNE HARRIS、那波かおり訳>とは、登場人物の設定などを変え、メリハリを付けている。
映画は、原作とは別の独立した、才気溢れる作品と言いたい出来栄えである。
←←オープニングの映像 エンディングの映像→→ <陰>で始まり <明>で終わる そのとおりのシンプルな筋立ての映画である。 |
人間の内面を丁寧に映し出して行く為、サスペンスも意外性も無い。 作り手の繊細さを感じて、自分の心を自覚して行く楽しみを味わう映画である。 自分の内面を見つめる事に興味が無ければ退屈な映画であろう。 |
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厳格で禁欲的な村長 憎めない悪役 |
村長の秘書。 厳格な教育ママ |
←二人が代表する厳格・禁欲的・宗教的・保守的な村社会に、 → 開放的で、一人一人の心・感情を自由に目覚めさせるショコラ屋が移り住んでくる。 |
突然舞い込んで来た ヴィアンヌ |
平和な村民も、新鮮な世界=ショコラ店に無関心ではいられない |
→ 開店準備中のショコラ店。 新聞紙で目隠しされたショーウィンドウ。 村民の興味を、淡々と映し出す様々な映像手段の1場面 |
その隙間から覗き込む目 |
中でショコラを作る未知の女性 |
↑ヴィーナスの乳首 |
様々なショコラがウィンドウを飾り始めると、人々の興味は、、、 それを犬を使って表現。 入ろうと鎖を力いっぱい引っ張る犬の姿勢。→ 入らせまいとする自制心・警戒心を鎖にかかる力が表現する。→ |
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原作では、 「う〜むむ」 飲むと言うより、味わい、堪能している。 「う〜むむむ」 アルマンドの目を閉じた歓喜の表情に、私のほうがたじたじとなる。 「たいしたものねえ、すばらしい」 アルマンドは、思索にふけるように半ば目を閉じて、しばらくじっとしていた。 となっている場面も、 ↓ ジュディ・デンチの内面の動きのみならず自分の半生までも垣間見させる、しぐさ・表情で、原作以上に作品に引き込まれて行く。 |
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ショコラを飲む前の心を閉ざしている表情 |
如何にも、不可解なものを検査しようとする飲み方 |
頭の中でデータを探しまわり、驚きの原因を明確にしようとする表情 |
不思議なショコラに出会い、温かい心が蘇えり、心の転機となった瞬間 |
→ 「してやったり」 と、アルマンドの心の変化を下目使いで観察するヴィアンヌの表情。 各人の心を、僅かなしぐさで表現させ、それを丁寧に撮影している。 |
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← ショコラに接する前の人達の表情 |
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→ 心の奥に潜むSEXの表現 犬を使って、さり気なく下着を見せさせている。 兎に角、潜んでいる人間の内なるものを丁寧に映し出す。 |
台の上に乗った女性の下半身 → 通り過ぎる村長 顔のこの傾き、視線 妻に逃げられ、近くに未亡人の美人秘書が居る境遇なのに、厳格な村長の心の一部を、、 |
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↓ ショコラは幸せ! 料理にもショコラ掛け、、、、、 ↓ 一口食べれば この表情、、至福の瞬間。 音楽も極力控えめに静かに響かせて、、表情を印象付ける ↓ 映像の丁寧さを見ているだけで楽しくなる。 ストーリーの展開が退屈だと批判するのは活劇と誤解しているのだ。 |
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↓ ショコラを食べて、あらゆる喜びを享受できるようになった人達。 前向きに生きれば良いのだ!↓ | |||
親子の対立。 年老いた母親との葛藤 教育中の子供との閉ざされた関係 → 禁欲・厳格の為、心が通わない |
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心が通い合った後の映像 → 角のとれた清清しく素直な心の母親の表情。 母親に心寄せる、信頼する子供のしぐさ。 母親を見て寄り添う、、 全てを映像で現す丁寧な映画作りの姿勢 これをクドイ表現と感じる人もいるのだが、、、 |
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←← お互いに心の触れ合った瞬間 老母は、「好きなように死なせてくれ」 娘は「それも幸せなら、仕方が無い。 もう許そう!」 とでも思っている表情 |
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憎めない憎まれ役の村長。 厳格さへのこだわりが可愛く思える | ↓怒りの爆発の映像も控えめ | ↓ ショコラめ、決行だ! | |
→ 大転換点の瞬間映像 → |
← 偶然、唇に付いた ショコラのカケラ 小さい、極力小さい 大転換点のきっかけを、極力小さく表現。 全てがさり気なく控えめな展開 |
↑ 心の大転換点の表情 この≪目≫で、後の映像が全て変る、≪明≫に。 |
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☆ 神の奇跡的な復活を語るよりも、彼がどのように地上で暮らしたかを、その優しさや寛容さについて、、、 ☆ 人間の価値とは、何を禁じるかでは決まらない。 何を否定し拒み排除するかでもありません。 むしろ、何を受け入れるかで決まるのでは? 何を創造し、誰を歓迎するかで、、、 (字幕より) |
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吹っ切れた明るい母親→ 遠くに村長を映す事を忘れずに、新しい恋の目覚めも表現する。 全ての映像に無駄が無い。 |
女性側から映し |
男性側からも映す |
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交わす笑顔 見ている私も同じ表情なのだ |
笑顔を受ける笑顔 人間、笑顔が一番良い |
ショコラを食べて、不要な呪縛から自由になり、ハッピーエンド! 御伽噺のようにシンプルなストーリーなのだが、丁寧な、説明的な映像で個人個人の内面を映し出していく手法は、見ていて心地良く、ハッピィにしてくれる。 欲を言えば、ヴィアンヌの恋人のお話の部分が、映画の興業的配慮からか、「さり気なさ」からはみ出て、異質に思える。 ジョニー・デップが魅力なんだよ!との多数意見、、、やはり興業的には成功しているんだ。 |
2001年のアカデミー賞に5部門でノミネートされたそうだ。 「あッそう!」 Wowowで見るまでは、名前さえ知らなかったんです。 映画マニアでもない、単に暇つぶしで映画をテレビで見るだけの人間にとっても、印象に残る映画でした。のぶながTOPへ 掲示板に参加して、感動の共有と増幅を!
子供だましのアニメに感動する映画通が多いご時世には、退屈な映画でしょう。
意外性もミステリーもアクションも無い、地味な映画です。
教養の深さ、格調の高さ、歴史的教訓、奥深さ、、圧倒的感動、、などとは又違う、映画の名作なんでしょうか。