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≪ 霧のタージ・マハル アグラ ≫

Agra Taj Mahal
タージ・マハール

インド旅行、彫刻を中心に(16)
2008/12/23〜2009/01/02






タージマハルに着いたのは、朝7時である。
一面の朝霧で、、、
昨夜の列車の遅れも、この霧が原因であった。

この朝の霧が、、後日、、我々に大変な事を起こすだろうとは、、、、
、、、、、、、、、、、、


↓  テロ警戒であろう、、警察でも軍隊でもない人達の 銃での警戒である。
観光客を検問するというような事は無かった。 入口に近づく。 ↓




↓ 入口で、靴カバーを受け取り、GATEを入る。  南の正門である。 ↓




もう既に見慣れたスタイルである。





↓ トルコのモスクでお馴染みになっている イスラミック・カリグラフィー ↓
だが、、単なるカリグラフィーであり、、
トルコのブルサ、ウル・ジャーミィでの
衝撃的なイスラミック・カリグラフィーとは程遠い。






正門内部からのタージ・マハル



この時点では、、霧は温度の上昇と共に晴れてくると 思い込んでいたので
なんの落胆も無く、、取りあえず撮っておく、、、



観光客が多い、、、、今までの観光地とは違う雰囲気である。
猫も杓子も訪れる観光地なのである。
誰でもわかる いわゆる観光なのである。










☆ Taji Mahal
ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーン(1628-1658)が、妃ムムターズ・マハルの為に建てた墓陵である。
皇帝になって3年目に妃が亡くなり、、彼女への愛情のあまりに、22年の歳月をかけて1653年に完成。
大理石、貴石等を大量に使用し、、その膨大な費用の為に国が傾いたそうである。
後継者争いの後、、息子が6代皇帝アウラングゼーブ帝となり、アグラ城に幽閉されてしまうのである。


6代皇帝アウラングゼーブ帝の第一妃ベグムの廟が、このタージ・マハルにならって
アウランガーバードに建てられたのが、ビービー・カ・マクバラー廟である。


* 愛した妃の為に、、国が傾く程に費用をかける、、というのが全く理解できない。

お城を豪華に堅固に、、その為に費用をかけるのなら、、統治に必要な威厳をもたらす。
壮大な寺院を建造するのも、、民衆を一つにまとめて、、国の安定に役立つ。
道路建設などのインフラに金をかける、、、国力の増強になる。

国を治める皇帝であるという自覚が希薄だったのか、、それを忘れさせる程の女性であったのか、、
それ程の女性に出会った事がない、、、
しかし、、大したこともない女性に、我を忘れてウツツを抜かす男は、、頻繁に出くわす。

と、、タージ・マハルに関しては、、事前に、こんな感想を持っていたので、、殆んど興味がなかった。
また、 偶像崇拝禁止のイスラム教なので、、、幾ら費用をかけても、、
素晴しい彫刻や絵画で飾られている事はない、、、、
単なる工藝的なモザイクに金がかかっていても、、殆んど興味が湧かないのである。








均整美、、、



いつまで経っても霧は晴れない。

正面から様々な趣向で撮ってみる、、









額縁風に、、












額縁風に、、、霧が幻想的に漂う













陽は昇る、、、霧は晴れない、、、

太陽の輝きと その反射を、、幻想的に、、、


















この建築の費用の為に、、国が傾いたと言われるが、、、
国が傾く程の規模でも造作でもない。  これ以外の浪費があったに違いない。
1日2万人で22年間、、、
大理石の採掘、運搬を考慮に入れても、、、
エジプトのピラミッド程の巨大さはない。


シャー・ジャハンを幽閉した息子の6代皇帝アウラングゼーブの時代には
3代アクバル大帝と同じく、ムガル帝国の最盛期となっている。
国が傾いた程の出費、、と言うのは
タージ・マハルへの世俗的賞賛に過ぎないのでは、、、







大理石に貴石のモザイク、、、貴石と言えども、、この程度なら単純すぎると思うのだが、、








大理石の浮き彫り、、貴石モザイク、、、装飾的だが、、工藝の域から出ない。








横にあるゲストハウス?




正面前から、、正面入口を見る。




霧の晴れないまま、、、アグラ城に向う。


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