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≪ 『 三つ目がとおる 』 を 孫と読む ≫

地に付いた知的好奇心を目覚めさせる為に
手塚治虫著 漫画 『 三つ目がとおる 』 を
4才の孫と共に読む。


2011/08




人 皆 同じようにチャンスはある。
良いチャンスも、どんな人でも平等に訪れている。   悪いチャンスも また 同じ。

良いチャンスに気が付いて、良い方向に展開させていくか、、
悪いチャンスに引っ掛って、、ドンドンと低レベルの人生を送らなければならないか、、

チャンスの訪れたその時の判断は、、どちらであっても、大層なものではない。
常に、良い方向に展開して行くように心がけていれば良いだけだ。
永年の教養の蓄えがあれば、、日常の判断を、より良い方向へ向うものを、楽に選択できる。


私は、、中学生の頃にクラシック音楽に、タマタマ接したのがきっかけで、
高校、大学と続き 自分でレコードを購入するようになる。
そのレコードのジャケットが美しい。
ルネッサンス絵画や、、ベニスの風景画、、、これらを見て日常的に生きてきたので
大人になって、自分の人生を、自分の意思で選択できるようになると
当たり前のように、イタリア、ギリシャを含むヨーロッパ文明に親しみを覚える。
BACH等の音楽を通じて、聖書物語にも知識が豊富になる。
見るものも 読むものも 買うものも、、多くがこれらに関するもの。
海外旅行も、、長く親しんできた事物との遭遇なので、、身に付気易く、肉となり血となっている。

結果的に、、100%近くが、芸術的、美しいもの、素晴しいもの に取り巻かれている。
醜いもの、低レベルなもののは、、拒否反応がでる。

生きていると、、避けられない不幸も当然にあり、私も数多く遭遇し、、何とか乗り切って来たのも、、
より良い状況への向上心、探究心が続いてきたからであると自覚している。

我が子孫にも、、より良い素因、遺伝子を持って欲しいと、、努力している状況である。


約30年前に、我が息子の為にと思って、 手塚治虫氏の漫画を 多数購入したのであるが、
全く興味を示さずに、、、その場限りのツマラヌ発想の漫画に耽って、親の思いは全く通じなかった。
また、電気や機械への好奇心のきっかけにでもなればと思って、購入したNゲージの鉄道模型にも興味を示さなかった。

現在、娘の方に出来た孫が、、 4歳男、2歳女 と2人になった。  正月、春、夏と 我が家に長期滞在する。

4歳の孫は、去年から、鉄道模型で遊んでくれる。  積み木等を駅に見立てて、ストーリーを作りながら遊んでいる。
手塚治虫氏の漫画は、、昨年 アニメ 「 火の鳥 」 を見せたのだが、、
難し過ぎたようで 「 怖い 」 と言って、最後まで緊張が続かなかったのだ。

アンパンマンやドラえもんのアニメに夢中になるのなら、まだ我慢できるのであるが、、、
ゴセイジャーとか何とか、、全く子供の教育を考えていないメチャクチャなアニメに夢中になっている姿を見ると
なんとか、、、健全な方向の漫画やアニメに興味を持って欲しいと思わざるを得ない。

今夏休みには、、、手塚治虫に親しませようと、、『 三つ目 』 なら 何とかなるか? と期待しながら、夏休みを待った。



『 三つ目がとおる 』 の漫画本は 1集から8集まで。

古代遺跡ロマン や 超能力、、など
手塚治虫氏らしい教養あふれるテーマを、
節度あるユーモアを織り交ぜて展開させて行く。

物語に出てくる 遺跡、持物、思考 などは、
ドキュメンタリー、教養本、映画などにも多く扱われているので、
少しでも記憶に残っておれば、今後の日常生活の中での、
知的好奇心が湧き上がるきっかけになる。

何とか孫の興味を惹きたいものである。
私が読んで聞かせる事から始める。
写楽保介は普段は、バンソウコウを貼り、三つ目の目を隠している。
この時は、普通よりも幼稚な子供であるが、、、
バンソウコウを剥がし三つ目が現れると、超人的な能力を発する。
この点で、「 変身 」 好きな子供には馴染みやすいのであろう。

バンソウコウを剥がしたり、貼ったり出来るのが、
気を許した和登千代子、、健全な美人女学生である。
この色気の部分は、、4歳の孫には無関心である。

孫に判るように、表現を変え、興味のありそうな部分を強調し、
説明、解説しながら、読み進む。




例えば、、、、、、
三つ目が描きだした、設計図らしきもの
古代マヤ遺跡のパレンケの棺桶の蓋のレリーフである。

この時は、、メキシコの博物館で購入した レリーフの縮小レプリカを見せて
「 これの事なんだ。 同じだろう! 」 と漫画に リアリティを持たせる。





チチェンイッツァのピラミッドが出てくれば、、、、




本物はこれなんだ〜  と写真を見せて、、具体的なイメージを植えつける。


大きくなって、様々な出逢いに遭遇しても、これらの印象が記憶に残っておれば、、
親しみを覚えて、好奇心で深く探求してくれれば願っても無い事だ。

低俗な遊びや習慣の世界に、安易に入り込み、仲間でも出来てしまえば、
そこに安住してしまい知的世界に反感を持つ類の人種にはなって欲しくない。
貴重な自分の時間を、酒を飲んでグズグズと同じ事を繰返す輩を多く見た。
楽しい事は、、世界に数多あるのだから、、それらに心を開けば良いのにと思う。



孫の前の子供には、、出来るだけ良いモノを見せるようにしてきた。
娘、息子が其々高校2年の受験勉強前の年には、
ヨーロッパの町の独り歩きを経験させもしたが、、
中々親の思うようには成長しなかった、、、
しかし、悪い方向には行っていないので、、良しとするしかない。


今度は、、孫に淡い期待を掛ける。
強制しなければ、反発して悪い方向を選ぶ事はないであろう。
ダメ で 元々 である。


世界は広い、、人間の歴史も永く千変万化である。
広い2次元の世界が、、其々に興味ある3次元の時空を展開している。
これらを、、楽しむには、、それなりの努力の積み重ねが必要である。
幼い時から遊びと共に身に付ければ苦労とは感じない。


                                                            2011/04 メキシコ旅行記へ


この後、、孫が、、1人で、、『 三つ目がとおる 』 を読んでいる姿を見かける。
シメシメ である。


孫は、国旗カードで国名当て遊びをしている。

私の地球儀は、地形が立体的で、色でイメージが湧く。
地形を無視して国毎に色分けしている地球儀では、
地球の姿は把握できない。

国旗カード遊びのついでに、あるべき姿で地球を見せている。

私は、地球的視野から己を認識する習慣を身に着けている。
自分中心の世界ではなく、自分の立ち位置を俯瞰的に見れば
日々の判断に、公正さや客観性を持たせられる。

孫にも、、独りよがりではない世界を見て欲しい思いである。




Nゲージの鉄道模型も、、、列車とレールは既製のものであるが、
駅や風景は、、孫が家にあるものでその都度 作って遊んでいる。
「 買って集める 」 のではなく、、創意工夫の癖をつける為である。
今回は、、レゴだけで、、各地の駅を作っていた。
去年は、動物の置物を置いて 「動物園だ〜」
龍の置物で、、「 怪獣だ〜特急で逃げろ〜 」、、


昨年はメチャクチャな操縦で、、遊ばすのは早過ぎたかなと思ったが、
今回は、脱線や転覆を繰り返し、、加減、、という適切さを、、知りかけている。





この4歳の男の子に、K−POP の 「 少女時代 」 のテレビ録画を見せたら、、、ハマッテしまった。
来日時のテレビ放送から、歌と踊りの部分だけを編集した 20分程の映像である。
朝から 「見せろ、見せろ 」 と、1日数回見ている。
3種類のMr.TAXI と Grate Escape、Genie、Bad GIrl である。
3日目位から、、「 Oh Oh Oh 」 とか 「 Taxi Taxi 」 と口ずさみだし
立って踊ろうとするのだが、、全く真似が出来ずに、、身体だけがムズムズ、、

綺麗で躍動的なものに興味を持つのは健全な成長なのだろう。
2歳も女の子は、未だ興味は沸かない。



紙を巻いて棒にしたものを、剣として 、、折り紙で手裏剣を作り、忍者ごっこ、、、
その時、、背中に剣をさして戦っている時に、、、私は閃いた。
孫に  「 かっこいいな〜 」 と言いながら

DVD録画で、、プッチーニのトゥーランドットを探す。
トゥーランドット姫の 3つの謎かけの場面を思い出したからである。

ゼッフィレッリ演出のメトロポリタン歌劇場の公演

この ド派手な演出なら、、子供にも受けるかな? と思ったから。

京劇風に、背中に 6本の巻物を背負う トゥーランドット姫


「 3つの問題で〜す 」 と 孫にも判るように解説しながら見る。

クイズや問題が好きな孫の興味を掻き立てる。
「 考えてま〜す 」
「 まだ 判りませ〜ん 」


「 大正解〜 」 と、、、ハッタリ抜群の演出に、孫達は興味深々となった。



ここで、、意外にも、、2才の女の子がハマッテしまった。

6本の巻物を背負う トゥーランドット姫 の姿が余程 気に入ったらしく、
その後、何度も 「 見せろ 見せろ 」 と トゥーランドットのDVDを収納したケースを持ち出す。
プッチーニの音楽の テインパニーのドンドンの音を真似をする。

4歳の男の子は、 少女時代を、、2才の女の子は、 トゥーランドット を 「 見せろ 見せろ 」
と毎日、、、

この時、ついでに、「 魔笛 」 の 『 パッ パッ パッ パッ パパパパパ〜 』 を見せたのだが
2人とも全く興味を示さなかった。
録画劇場を代えて見せたが、全くダメ、、、パパゲーノも幼子には、理解不能のようである。



賑やかで、、神経の磨り減る真夏の10日間が、、東京から娘婿が迎えに来て、無事終了。
次は、、冬休みである。  思うだけで、、神経が怯える。




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