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≪ ゴヤの黒い絵、砂に埋もれる犬 ≫

あるいは、 「流れに逆らう犬」 or 「運命に逆らう犬」 or 「砂に流される犬」

Francisco de Goya 黒い絵 (2)





134 x 80cm, 1820-1823


1820年頃(ゴヤ74歳)、聾者の家の壁に描かれた黒い絵 14点の内の一点
黒い絵(1)へ



↓ 形あるものとして描かれているのは、 ≪ 犬の首 ≫ だけという絵 ↓



犬の顔の表情は、、、前方斜め上を、、怯えながら見つめている。 と言うべきか!

埋もれているのである、、多分、流れ下る大量の砂に

砂に埋もれる犬
砂に流される犬

この絵によって考えさせられるのは、、
運命に流される人間であろう。

若い頃から、、自分の運命を切り開いてきた。
次から次へと遭遇する、人生の転換期、難問をクリアしてきた。
しかし、個人の努力では、抗し切れない境遇にも遭遇する。

そういう人生を経てきた人間にとっては、、この犬が自分に置き換わる。

才能、境遇に恵まれて 終生 順風満帆の人には、ツマンナイ落書きだろう。
流れに逆らうことなく、ただ平凡に生きている人にも、注目に値しない絵だろう。



ゴヤの生きた時代のスペイン、、戦争、内乱、、ゴヤの立場、、宗教の恐怖、、
それらを十二分に知って、、そのゴヤが描いたこの絵に接すると、、、
自分に置き換わってしまう。
戦争からは遠い一億総平和ボケの国にあっても、、
他人から見れば、些細な苦労と思われようが、、
運命を少しは切り開いたが、、流されてしまったわが身に見えてくる。





← 我がデスク

もらい物のマウスパットであるが
毎日、、この絵と接している。

この場合、、
色調が単純で落ち着いているので
違和感無く、永年使っているだけであるが、、、

運命に流される人生の指摘であっても、、
見る方はそれだけでは終わらない。

運命の流れが認識できれば、、
挑戦してやろう!と、、前向きにもなる。
この絵は、、元気になる絵でもある。






↓ あらためて、全体を眺めてみよう ↓

画面の殆んどが、、曖昧模糊、、、
不気味さからくる恐怖感
小さく犬の頭がだけが、、


ゴヤの表現力 !!!



芸術家の表現力 というのは、、
描写力だけではない。

真摯に生きて、逃げずに向う。
自分ながらに、、悟りを開く。
そこで、問題点があぶりだされる。
真理の構成要素が見えてくる。

テーマ、問題点を見出す。

何を描くか!

これが偉大な芸術家の最重要素。
如何に描くかは、、技術の問題ではない。
表現したいものの核心を知得しておりば
自ずと、、溢れ出て、描かれる。
無駄なものは無い。



ゴヤを並外れた偉大な芸術家と評したいのは、
この晩年の深く人間を見つめた問題認識・表現の為である。
黒い絵、版画集(戦争の惨禍、ロス・ディスパラテスetc)



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

黒い絵と言われる14点は、プラド美術館にあるが。
聾の家の壁から、、カンバスに移されたもの。
元々描かれた場所は
■ 2階
アスモデア
異端審問
運命の女神達
棍棒での決闘
砂に埋もれる犬
読書(解読)
自慰する男を嘲る二人の女

食事をする二老人(1階?2階?)

■ 1階
レオカディア
ユーディットとホロフェルネス
魔女の夜宴
サン・イシードロの巡礼
我が子を食らうサトゥルヌス
二人の修道士


カンバスに移された後に、、
相当に 修正、加筆があったらしい。
X線検査の結果、、
初めは、壁に風景画が描かれ
後日に、その上に黒い絵が描かれた。
その下の風景画と、上の黒い絵とも関連があるそうだ。

これらを別に一挙掲載、ゴヤの黒い絵(3)





ゴヤ、、
ゴヤはいつごろから、、私のゴヤになったのだろうか?

1746 アラゴン地方の寒村フェンデトードスで生まれる
1762 (16)  ** ティエポロがマドリード訪問 (息子2人を伴う)
1773 (27) 結婚
1775 (29) タピストリー原画を初めて描く (以後15年間に63枚描く)
1776 (30)  ** アメリカ合衆国独立
1784 (37) 貴族社会と関係し始める
1786 (40) カルロス三世の王付画家となる (名声高まる)
1789 (43) 宮廷画家に任命される
1792 (46) 重病始まり、全聾となる。
1795 (49) アカデミー絵画部長。 アルバ公爵家と親しくなる。
1799 (53) 銅版画集「ロス・カプリーチョス」出版
首席宮廷画家になる
1800 (54) 「カルロス4世の家族」着手し、1801/6に完成
1806 (62) ナポレオン軍と全土で戦う、独立戦争へと発展
1810 (64) 銅版画集「戦争の惨禍」に着手
1814 (68) 2点のマハの絵で異端審問所に告訴される
1819 (73) 聾の家を購入
1820頃〜 黒い絵、版画集「ロス・ディスパラテス」制作
1824 (78) フランスへ亡命
1828 (82) ボルドーで死去

40歳になるまでは、、意外にも平凡である。
50代で個性的になり、、、
60代に、、フランスとの戦争に対峙し、、
問題提議とその表現において
時代を超越した偉大な存在になった。




↓ プラド美術館の黒い絵の展示室 ↓





↓ プラド美術館のカルトンの展示室 ↓




ゴヤは29歳の頃から
タピスリーを織るための原寸大の原画 ( カルトン ) を63枚を制作している。



私のゴヤとの出会いは、、これらの隅々まで明るい絵から始まる。
40年前、、20代の頃、レコードのジャケットに多く使われていた。
フランスのエラートレーベルのレコードだ。
毎月、輸入盤探しを楽しみにしていた懐かしい時代である。

この100%の明るさが在ってこそ
晩年の深遠さが強烈になり、
受け入れるのに全く抵抗がない。
ゴヤが健康的に好きになれるのである。



『 日傘 』 104 x 152cm, 1777




『 葡萄の収穫 』 275 x 190cm, 1786




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